飯舘村黒白猫4姉弟のお話 その1
「飯舘村黒白猫4姉弟」No.1
出演 すみ♀ おたべ♀ のり子♀ ふく♂
特別出演 うたちゃん♀(姉弟の母猫)
黒白猫4姉弟は、福島県の飯舘村からやってきました。
2011年3月に爆発事故を起こした東京電力福島第一原発の北西およそ30~45kmに位置する村は、原発から放出された放射性物質により汚染されてしまいました。
事故から1年9ヶ月が経った今でも、すべての村民は避難を余儀なくされ、村に立ち入れるのは昼間だけ、宿泊ができない状態が続いています。
2012年7月には、汚染のひどい一部の地域は立ち入り自体が禁止されました。
僕は、2012年2月から飯館村に残された犬猫たちの撮影をはじめましたが、そんな中で出会ったのが後に黒白4姉弟の母となる「うたちゃん」です。
うたちゃんを撮影した最初の写真
人恋しかったのか、初対面の僕に自分から近寄って来ました。
村は緑豊かな山や森に囲まれ、昔ながらの農村の風景が広がっています。
美しい風景に見えますが、人の気配はなく道路の脇や畑は雑草に覆われています。
一度しか会ったことがない、おそらく姉弟の父猫
のり子がそっくりなので、間違いないと思います。
うたちゃんが姉弟を産んだのはおそらくゴールデンウィークの頃、
僕が子猫の存在に気づいたのが6月初旬。
生まれて一ヶ月ほどを人と接することなく過ごした子猫は、警戒心に満ちていました。
僕の姿を確認するや、屋根の隙間に身を隠してしまった。
右のひげ模様黒白は「ふくちゃん」です。
うたちゃんの飼い主さんは、頻繁に村に戻るものの「避難しているため子猫たちの面倒を充分にみることはできない」からと、僕に保護しても良いと言ってくれました。
放っておくと野良猫になり繁殖を続け猫が増えてしまう、また小さな体の子猫たちへの放射線被曝の影響が心配だったので、悩んだ末に自分で保護することに決めました。
子猫姉弟が暮らしていたお宅の敷地内で、放射線量率の測定をする作業員
「このあたりはだいたい2~3マイクロシーベルト/時ですね」とのことでした。
元々は畑だったこの場所は、すっかり雑草に覆われてしまっていました。
ちなみに、東京都国立市の自宅近隣の放射線量は、市の発表で「0.05マイクロシーベルト/時」です。単位が2つ違います・・・
そして、飯舘村には10マイクロシーベルトを超える地域も多く存在しています。
当初は、子猫を保護したら「人なれさせて、里親さんを探そう」と考えていました。
しかし、うまく人になつくようにできるか確信が持てなかったことや、もし里親さんが見つからなかったら家で飼うことになるんだな、など様々な不安もありました。
そして、村で母猫と幸せそうに暮らす子猫たちを見ていたら、「この子たちを、今以上に幸せにできるのか・・・」そんな思いもよぎりました。
今思えば、命を預かる責任の重さから逃げる言い訳を考えていたのかもしれません。
母猫うたちゃん、「子供、集合」と言っていたかはわかりませんが
子猫たちは母猫が呼ぶと、隠れ家から次々に姿を現しました。
子猫たちの「お母さん、大好き」という気持ちがあふれだす行動に、思わず「かわいいな」と頬をゆるめながらも、正直なところこの親子を引き離すことが正しいことなのかと迷いも生まれました。
「すみ」(左)と「ふく」(右)
カメラを構えながら接近する僕に対して、警戒心をあらわにしていました。
隠れ家に逃げ込みこちらの様子をうかがう「おたべ」
子猫の冷たい視線は、さすがにこたえます・・・
窓の外を飛ぶ虫が気になる「のりこ」
自分たちのテリトリーに逃げ込んで少し安心したのか、子猫らしいかわいい仕草を披露してくれました。
この翌日(2012年7月1日)、子猫全員を保護・・・
保護の時は、もう必死で一枚も写真を撮っていません(T_T)
(つづく)
子猫たちとの出会いから保護までについては、過去に書いた下記の記事もよろしければご覧になって下さい。
Yutaka Kamimura Photojournal
子猫たちとの出会い
子猫四姉弟が飯館村で暮らしていた頃
最後になりましたが、
あけましておめでとうございます
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