渋谷写真展3 ゴエモンの幸せ・姿を消した猫たち・村の風景1
4月28日から5月3日まで、渋谷ギャラリー・ルデコで開催された猫の合同写真展「ねこ専」で展示した写真を紹介させていただきます。
「人が消えた村のねこ 福島県飯舘村の記録」
今回は、隣町の餌場山木屋交差点のボス猫だった「ゴエモン」と、姿を消してしまった猫たちです。
除染で様変わりする前の村の風景と合わせてご覧になってください。
ゴエモン
にらみを効かせ餌場を守り続けた老猫「ゴエモン」。
彼はボランティアが運ぶフードで、命をつないできました。
そして、「余生は家で過ごして欲しい」
ひとりの意志と行動が、ゴエモンの世界を変えました。
彼の鼻筋に新しい傷が刻まれることは、もうありません。
「ひとりが一匹の輪」が広がれば、数百数千の猫の世界を変えることができます。
誰もがひとりになれます。
よろしければ、合わせてお読み下さい。
ゴエモンを里親さまの元に届けた日の記録
「15/1/23 飯舘村犬猫レポート3:ゴエモンの家族」
餌場にいた頃のゴエモンの気持ちを代弁した記事
「14/8/17 飯舘村 猫撮るレポート1:ゴエモン氏おおいに語る」
姿を消した猫たち
野生動物に襲われたり、姿を消す猫が跡を絶ちません。
人の営みが失われ、人と野生との境界があいまいさを増しています。
カラス、タヌキ、ハクビシン、アライグマ、アナグマ、キツネ、サル、イノシシ。
猫の命をつなぐフードは、野生動物をも引き寄せます。村内20数カ所にボランティアが設置した「給餌台」からは、一晩で2~3kgのフードが姿を消すのも珍しくありません。
野生の生存競争に飲み込まれた猫は、決して強者ではありません。猫は人の営みに寄り添ってこそ、猫らしく生きられるのだと思います。
野生動物に襲われ致命傷を負い、この世を去った「小春」。
通りが見える場所で、人を心待ちにしていた彼女に会った日の一枚です。
小春は、まっすぐに向かってきました。彼女は人の手を求めていました。しかし、僕は彼女に手を差し伸べられませんでした。
どの猫にも、また会える保証はありません。
「何かが起こる前に行動を」
小春の死を振り返り心に刻んだ言葉です。
除染作業員に亡骸を拾い上げられ埋葬された「御老公」
ボランティアと出会ってから半年以上の時間を経て、御老公は人の手を受け入れました。
おそらく、人のぬくもりを知っていた猫。
若い猫の多い餌場で、物静かに存在をアピールしていた姿が思い出されます。
彼もまた、人の手を待ち続けていたのかもしれません。
「葵」は、大怪我を期にボランティアに保護され、村を出ました。
しかし、心やすらぐ時は長くは続きませんでした。
ダブルキャリアであった彼の肉体を、過酷な環境での長い時間が蝕んでいたのは間違いありません。
(展示外写真)
「GS横」と呼ばれる餌場に居着いた若い白黒猫。
姿を消してからいくつかの季節が通り過ぎました。
口の痛みに耐えながらフードを貪り、相棒の「いりこ」と寄り添い生きてきた「トム」。
屋内で暑さ寒さや野生動物から身を守り、ほぼ毎日置き餌を口にできいたトムでさえ、姿を消してしまいました。
人のいない村では、いつ何が起こるかわかりません。
ゴエモンの仲間「お富士」。震災前からこのあたりを根城にしていました。
衰え、やがて姿を見せなくなりました。
村の風景
福島第1原発の北西30~45キロ程にある「飯舘村(いいたてむら)」は、日本の美しい村に選ばれた風光明媚な農山村です。
放射性物質が降り注いでから4年、人の営みは失われたままです。
しかし、村にはおよそ400匹の猫と200頭の犬が暮らしています。避難先でペットの飼育が認められていないためです。
飼い主、村の自警団「見まもり隊」、ボランティアが、猫と犬にフードを与え命をつないでいます。(村への出入りは自由です)
ボランティアは猫や犬がいる200余りの家を把握し、給餌の他にも不妊去勢、犬の散歩、医療ケア、保護等の活動をしています。
20数カ所につくられた猫の餌場は、野良猫たちの胃袋を支える大きな力となっています。
(2012年から村に通い始め、比較的早い時期に撮影した風景です。展示外の写真を多数追加しました)
最後までご覧いただきありがとうございました。
またのお付き合いを、よろしくお願いいたします。
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