15/1/23 飯舘村犬猫レポート2:米太郎日記 ほご
米太郎日記 ほご
■親子猫東
須萱地区での給餌を終え向かったのは、村の中心部に位置する伊丹沢地区。
保護対象と決めた猫が暮らしています。
なぜその猫を選んだのか?
前の日、僕は村に毎日のように給餌に通うボランティアの「日比」さんと話しました。
どの猫を保護するか決められず、口をついて出た言葉は・・・・・・
「どの猫ですか?日比さんのおすすめは」
前に保護した「ラビ」は、いくつかの決め手があり迷いませんでした。
一度しか会っていませんが、「縁」を感じました。
ラビの保護経緯 『終わりと始まり』
「さあ次」と思った時、10頭も20頭も浮かぶ顔がありました。
どの子も、放射能にさらされ、お腹をすかし、寒さに耐え、野生との境界のなくなった世界で、いつ果てるともわからない命の灯火を燃やしています。
次に野生動物に襲われるのは誰なのか?命を落とすのは誰なのか?
わかれば簡単に答えは出ます。
しかし、誰にもわかりません。
日比さんの口から出たのは、「親子猫東の若い兄弟」。
住環境が厳しい猫をいちばん知っているのは日比さんです。
若い命にチャンスを、の気持ちもあったと思います。
何匹かいる兄弟のうち、頭の模様が印象的なその猫が脳裏に浮かびました。
昨年11月に一度だけ会った日、エサを貪る様は子猫の面影とは不釣り合いでした。
家主さんが一時帰宅していました。
帰村宣言が出たら「村で暮らす」ために、福島市内に家族が建てた家から、定期的に自宅に戻り家屋や庭の手入れをしています。
現在77歳。「100まで生きる」のが目標。震災前は米とトマトを栽培していました。
家の中に招きいれてくださいました。
四世代が同居していた暮らしの痕跡と震災の爪あとが、そこかしこに。
この地で代を重ねていく、300余りの四季を超え受け継がれた血の意志が、まだ色褪せぬ床板やプラスチックの浴室に見て取れました。
一族の暮らしを支えた農機具はエンジンを眠らせ、柱になるはずだった木材は朽ち始めています。
あの日を境に、この地は時を止めています。
再び時計の針を動かしたい、故郷への愛着がかろうじて荒廃を食い止めているように感じられます。
その猫の根城は納屋の二階。
胃袋を満たせる、期待を滲ませひょっこり。
その猫が、寒風を避け、野生の爪から身を守ってきた棲家。
家主やボランティアが運ぶエサで命を繋いできました。
しかし、エサの多くを野生動物に奪われてもいました。
箱の入り口は、人にも猫にも当たり前のある世界へと続いています。
その猫の意志に関係なく、僕は元の世界への出口を塞ぎました。
放射能、野生動物、空腹、暑さと寒さ。
その猫が暮らしていたのは、人のいない生と死の境界のような場所。
ここでは猫は弱者です。
「おおきなおせわです」、と思われてるかもしれません。
しかし、これも何かの縁です。
よろしくね、その猫さん。
あなたが当たり前のある暮らしを手に入れられるまで、僕が責任を持ちます。
■親子猫西
そろそろ、「ゴエモン」の待つ「福猫舎」へ向かう時間が迫っていました。
猫を保護したお宅からほど近いエサ場を、最後に訪ねました。
しかし、猫たちは人が来た時だけ口にできるごちそうを心待ちにしています。
ここで飼われていた「バナナ」。
震災後にここで生を受け、サバイバルを続ける兄弟。
姿形は保護した猫に似ています、血のつながりを感じます。
人馴れしている黒猫は、野生動物に襲われたと思われる怪我をきっかけに、ボランティアに保護されました。
給餌を切り上げ、ゴエモンの待つ郡山の福猫舎へ向かいます。
福猫舎には、少し前に怪我で入院したのを機に村を離れた「マメ」もいます。
久しぶりの再会が楽しみです。
[つづく]
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