小春 Call my name 1
その猫は飯舘村で暮らしていました。
平たい顔をしたキジ白の女の子。
2012年2月、しんしんと雪が舞い降りる山間のとある家。腰まで積もった雪上をまっすぐに駆け「にゃん」と出迎えてくれたのが彼女との出会い。
村から人の営みが消え10ヶ月、野良猫だった彼女は動物ボランティアからフードをもらって生きてきたのだろうと思います。
フードをむさぼる様は、「生きるために食べる」と表現するのがぴったりに見えました。
2012年2月26日撮影
飯舘村に通いはじめて間もなかった僕は、犬猫たちに起こっている事態の全貌をまだ理解していませんでした。(今も全てを理解しているわけではありません)
人のいない土地に生きる犬猫を目の当たりにして、「できるだけ村に通いたい」、ただそれだけで東京と福島を往復していました。
2014年1月のその日までに、僕は51回飯舘村を訪れました。
その猫に会えたのはたったの5回。
僕が彼女について知っていることはあまりにも少なく、彼女の生死に関わるまで特別気にかけていたわけではありませんでした。
2度目に会ったのは2012年5月。
彼女は隣家のアプローチに佇んでいました。
車を降りると、ゆっくりと「ご飯ちょうだい」と近づいてきました。
空腹に耐えながら人が来るのを待っていたのかもしれません。
2012年5月26日撮影
その後、2度目に会った場所にボランティアにより餌場が作られました。
しかし、しばらく彼女を見かけませんでした。
後に聞いた話では、後からやってきた猫たちに居場所を奪われ辺りをさまよっていたそうです。
再会がかなったのは9ヶ月後、2013年3月。
納屋の稲わらがガサガサ、見上げれば彼女が。
村のなかでも雪深い地域、久しぶりに会った彼女は冬毛をまといふっくらしていました。
「もうすぐ暖かくなるからね、よくがんばってるね」
飯舘村の長く厳しい冬を知り、そこに暮らす犬や猫たちを近く感じるようになり、春の訪れを今までになく待ち遠しく感じるようになっていました。
2013年3月31日撮影
原発事故から2度目の春が訪れた4月中旬。
この日は、テレビの取材班を案内しながらの飯舘村訪問。
通りから彼女が目に入り、車を停めました。
「ご飯ちょうだい」とまとわりつく微笑ましい姿を見せたものの、食べ終わったらそそくさと遠くへ。
げんきんな彼女を、みんなで笑ったのを覚えています。
そそくさ、そそくさ。
2013年4月14日撮影
そして、2014年1月21日が、その猫に会った最後の日となってしまいました。
差し出したフードに口を付けずうずくまったまま。抱きあげると彼女の脇腹から膿がしたたり落ちました。
犬猫のために毎日のように村に通うボランティアの日比さんに連絡。
「後は引き継ぐから病院へ連れて行ってください」の言葉に、村から一番近い病院へ。
お弁当に手を出す。きっとお腹は空いていたのだろうと思います。
足にも傷が。
2014年1月21日撮影
診察台の彼女は、逃げ出す気力もないほど弱っていました。
脇腹の傷は深く広く、内臓まで達しているかもしれないという診断。
貧血と低体温もあり予断を許さない状態と告げられ、彼女は入院することになりました。
3日後の1月24日夕方、日比さんより「小春が亡くなりました」と連絡をいただく。
亡くなる前の日に、彼女は家族を得ていました。
彼女を一緒に保護した「チーム銀次」のIzumiさんのメールには、「今度病院に行ったら、私が引き取るのでしっかり治療してくださいと言ってみる」の言葉がありました。
そして、「元気に春を迎えられるように」と「小春」と命名していました。
数日後にお見舞いに行くことも決めていました。
これから幸せな時間がやってくるはずだったのに。
僕は小春を助けられなかったことが悔しく、自分の行動が正しかったのかと何度も考えました。
助けを求めるかのように姿を見せてくれたのに。
悲しいです。
たった5回しか会っていない猫を失うことが、これほどまでに悲しいとは思っていませんでした。
人の欲と無関心が原発を動かし続けた結果、人が住めない土地がつくり出され小春は過酷な生活を強いられました。
人の営みが消えた土地での3年近い月日、彼女は何を思って生きたのだろう。
空腹、孤独、寒さ、暑さ、野生動物の脅威、彼女の命は危険にさらされ続けていました。
楽しい、うれしいと思えることはあったのだろうか。
人知れずひっそりとこの世を去らなかった、それがせめてもの救い。
そんなことは1ミリも思えません。
なぜなら、小春を追い詰めたのは私たちが作り出した社会だと思うから。
最後に少し手を差しのべただけで、「少しは救われたね」なんて言うのは図々しいと思うから。
僕はせめて小春が生きた証を残したいと思いました。
僕はせめて社会を変える努力を続けていこうと思いました、諦めることなく。
今も同じ空の下にある過酷を、数多の命が生き続けています。
「原発事故の影響で人が住めなくなった飯舘村には、およそ200の犬と400の猫が取り残され、飼い主の帰りを待ち続けています」
ニュースでは数字に置き換えれてしまう犬猫たち、しかしその1頭1頭は私たちの傍らで暮らす犬猫と何も変わらぬ存在です。
僕はそんなひとつひとつの命に光をあてたい。
小春の亡骸は、故郷に埋葬されました。
「小春の家」彼女の生きた証を残すために、そう呼ぶことにしました。
おわり
●小春を保護した2014年1月21日の様子
浅草・銀次親分日記『冬の猫 3:保護猫』
●生前の小春
aihamalteseのブログ『飯舘村訪問日記357 2014/01/24』
●小春の埋葬
致命傷となった傷の写真があります。注意
aihamalteseのブログ『飯舘村訪問日記358 2014/01/25』
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上村雄高写真展 『CALL MY NAME』※副題未定
原発被災地飯舘村で出会った犬猫の写真展
会場|ギャラリー・エフ(東京・浅草)
会期|2014年4月23日(水)~5月26日(月) 火曜休
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