14/11/2 飯舘村 猫撮るレポート5:うたの庭
■うたちゃん
愛しのうたちゃんに会いに行きました。
うたちゃんは、家の黒白四姉弟のお母さんです。
うたちゃんの庭でも除染が佳境に入っていました。
ファイスブックへの投稿の転載します。
黄金色に輝くススキの前に佇むうたちゃんは、2013年11月に撮影しました。
そして今年の秋、この美しい光景を見ることはできません。
ススキは黒い袋に置き換わっていました。
夏前から除染が本格化し、現在の1日あたりの作業員は7000人以上。
村のいたるところで黒い袋を目にします。
除染で放射線量は下がっています。ホットスポットもある程度解消されています。
村で暮らす犬猫の生活環境は改善されたと言えます。
しかし、人が住んでもいいレベルまで放射線量が低減されたとは言い難いのが現実です。
除染の効果を見れば当分の間、犬猫は今のまま、が最も考えられる姿です。
住人の避難からすでに3年半、人の住めない場所で暮らし続ける犬猫を、この先どうしたらいいのか?
誰かを責めるのではなく、自分にできることは何かという視点で、多くの方に考えていただきたいです。
村では今、このような光景が日常となっています。
以下、繰り返しもありますが、ご容赦ください。
除染が終われば放射線量は下がります。黒い袋もやがて仮置き場へと移動されます。
汚染された地面は取り除かれ犬猫の被曝は減ります。
猫にとっては生活環境が改善されたと言えます。
しかし、人が住んでいいとされるレベルまで放射線量が下がった場所を、僕はまだ目にしていません。
除染が完了したのは除染対象地域の14%ほど、村の総面積に対しては2~3%ほどです(2014年9月30日現在)。
想像してください。
もしも、あなたの猫が放射線に貫かれ続けているとしたら・・・・・・
想像してください。
もしも、あなたが猫を放射能が降り注ぐ地に置いたままにしないといけないとしたら・・・・・・
除染の進捗や効果を見ればまだ当分の間、犬猫は今のまま、が最も考えられる姿です。
住人の避難からすでに3年半以上が経ちました。
犬猫の生涯にとって決して短い時間ではありません。
避難先での動物の飼育が認められていない、帰村が前提のため移住のための賠償が得られない、家も仕事も失い大きなダメージを負い犬や猫にまで気が回らない手が回らない方も少なくないと思います。
犬猫との暮らしを模索している村民もいますし、すでに新しい生活をスタートした方もいます。
しかし、まだ少数です。
これまで状況が大きく動かなかったのには理由があります。
長い時間で染み付いたものは簡単には消せません。
起死回生の一発が飛び出すことは考えにくいです。
人の行く末が定まらなければ、犬や猫は宙ぶらりんのまま留め置かれたままになります。
うたちゃんの写真を使いましたが、うたちゃんの飼い主さんを批判する意図はありません。
飼い主さんとは、子猫を保護した縁で親しくさせていただいています。
家族の誰かが毎日帰宅し餌を与えています。
うたちゃんは放置されているわけではありません。
しかし、本心を言えばうたちゃんがフレコンバッグの傍らを歩く姿は見たくありません。
正直、今のうたちゃんが最高に幸せかと言えばそうではないと思います、それは飼い主さんもわかっていることです。
うたちゃんが再び、家族と暮らせる日が来ることを願っています。
人の住めない場所で暮らし続ける犬猫を、この先どうしたらいいのか?
誰かを責めるのではなく、自分にできることは何かという視点で考えてください。
今はひとりひとりが「できるときに、できることを、できるだけ」を積み重ねていくしかないのかもしれません。
バイバイの時は、いつも後ろ髪を引かれます。
再会できることを祈りつつ
「うたちゃん帰るよ、元気でね。またね」
■石材店
日が落ちると街灯の少ない村は闇に包まれます。
暗いの苦手です・・・・・・
事務所の入り口に人感センサー付き照明があることを忘れていました。
白猫が浮かび上がる。
「おどかすなよ、チロ」
目ヤニやよだれが減って、美人さん復活ですね!
体もふっくら、なんとか元気でやっているんだね。
給餌台は野生動物に荒らされていました。
ドライフードが僅かでも残っていたことが、せめてもの救いです。
ヘッドライトを照明にしてメシタイム。
闇に浮かび上がるチロ・・・・・・チョットコワイデスネ
■大火給餌台
暗くてビビってますが、チロの家から近いのでもう一丁だけ。
前にイノシシの群れを見たり、森から足音が聞こえたりの場所です、ビビリも増幅されます。
給餌台のドライフードは空っぽ。
ハクビシンも出入りしていると聞いています。
猫の口にもフードが入ることを願いつつ。
自分には大きな力がないことを、村を訪れるたびに突きつけられます。
しかし、微力でもできることはあります。
打ちひしがれていてもしょうがないので、「できることを、できるときに、できるだけ」を積み重ねていきます。
犬も猫も一頭一頭が尊い命です。
もうこれ以上、人の都合で犬猫の命を軽んじてはならないと思います。
震災後、もう十分に動物たちの命は軽んじられてきましたから。
村の犬猫はまだまだ多くの「できることを、できるときに、できるだけ」を必要としています。
彼らの世界への門戸は閉ざされてはいません、彼らは僕らと同じ世界で生きていますから。
おわり
最後までご覧いただきありがとうございました。
またのお付き合いを、よろしくお願いいたします。
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