笑う犬、笑わぬ犬
先日、飯舘村に行ってきました。
住人の避難から2年以上が経ちました。
除染作業も計画通りには進んでおらず、今のところ帰村の目処はたっていません。
除染による放射能汚染の軽減に期待し村に戻りたいという声、
除染の効果を疑問視し村には戻れないのではないかという声、
放射能汚染があってもいいから村に戻りたいという声、
除染の効果によらず村には戻らないという声、
様々な考えや意見を耳にします。
この2年余りの間、村は放射能汚染に翻弄され続け、多くの村民の心は傷つけられ続けているように感じます。
僕には、どうするのが正解なのかはわかりません。
しかし、放射能のリスクが正しく伝えられたうえで、ひとりひとりの意思が尊重され、そのための充分な支援が受けられるようになって欲しいと願っています。
近い将来の住人の生活がどうなるかもわからない状況が続くなかで、今も村で生き続けている多くの犬猫の将来もまた、残念ながら不透明なままです。
これまで犬猫の世話は、飼い主が避難先から村へ通ったり、村民で組織する自警団「見守り隊」がパトロールしたり、動物ボランティアが村に入るなどして行ってきました。
そして、おそらくこらからも同じ状況が続いていくと思います。
しかし、そろそろ犬猫たちの心にもう少し目を向けてもいい時期がきているように感じます。
これから2年3年、あるいは5年10年と今のような状態が続く可能性も少なからずあります。
ならば、犬猫が飼い主と一緒に暮らせる方法や、犬猫が新しい生活を手に入れられる方法を考えていくべきではないかと感じます。
他の村では、実際に犬猫と一緒に暮らすことのできる仮設住宅もあります。
飯舘村でも多くの犬猫が、里子にでたりシェルターに預けられたりといった話も聞いています。
毎晩、深い闇につつまれる人のいない土地で、生き続ける犬猫たちを思うと「本当になんとかならないのか」と感じます。
村を訪れると多くの犬は、素敵な笑顔を見せてくれます。
しかし、その笑顔の裏には、孤独や寂しさがあるはずです。
人に慣れている犬たちには、撫でてもらったり散歩をしてもらったりと、ごく限られた時間ではあっても楽しいと感じられることがあります。
例えほんの一時であっても彼らに喜びを与えられることは、せめてもの救いです。
しかし、そうではない犬もいます。
覗きこんで「ご飯もってきたよ」と語りかけても、小屋の奥でじっとしたままです。
いつも不安気な表情をしています。
広い畑の奥にポツンと犬小屋が置かれています。
そしてこの子は、小屋の中でうずくまったまま、不安げな視線を送ってきました。
ときおり、彼らの表情や不安げな眼が頭に浮かんできます。
人のいない時間、彼らはどうやって過ごしているのだろう?
近くに繋がれた犬と仲良く遊んでいるのだろうか?
飼い主が戻ってきた時には、目を輝かせてのびのびと振る舞うのだろうか?
もしそうであるなら、だいぶ気が楽になります。
実際がどうなのかはわかりません。
しかし、もしも彼らが楽しいと感じられることがないとしたら、
少しだけでも「産まれてきてよかった」「人間と暮らせてよかった」と思えるようになって欲しいと願います。
すみません。
結局、僕の願いを書いただけの文章です。
様々な立場の人がこれを読んでどう感じるかなどは、ほとんど考えていません。
村で見て感じたことをそのまま書きました。
もし、気を悪くされた方がいましたらお詫びいたします。
最後までご覧いただきありがとうございました。
またのお付き合いを、よろしくお願いいたします。
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