哀しみの村 その2
村で猫たちと過ごす度に、どの猫もかわいい存在だと感じます。
家の猫と何も変わらない彼らとその飼い主が厳しい状況に置かれ続けていること、それは次に同じような事故が起こればあなたやわたしがその立場になるかもしれないということ。
だれかが必ず何とかしてくれるなんていうのは幻想でしかないということ。
同じことが自分の身に起こったらと想像し、自分の問題として考えて欲しいと思います。
少なくとも今オトナである私たちにも、原発を存続させる政権を選んできた、原発のある社会を許してきたという責任はあるのですから。
●メェメェとマァマァの家
到着すると、すでにウェットフードのお皿が。
この日は、この地区にボランティアが入る予定はないと聞いていましたので、日比さんかなーと思い連絡してみました。
「近くの気になるお宅に寄ったついでに、そこにも寄ったんよー」といつもの明るい声。
一時、風邪をひかれていたとブログで知っていましたので、ほっとひと安心。
お腹がいっぱいの時はつれない態度をとることも多い猫ですが、いつも通りメェメェ(仮)がお出迎えしてくれました。
続いて母猫のマァマァ(仮)も登場。
2匹は母娘。似ていますけど、茶トラ部分が多いほうがマァマァです。
せっかくなのでおやつを支給。焼かつお人気は絶大。
茶色が多いほうがマァマァね。
ごちそうさん by メェメェ
マァマァは、最近村の猫に人気らしいIzumiマッサージを受けて、おばあちゃん顔。
と思ったら、マァマァはもう10歳~15歳くらいと飼い主さんに聞いたのでした。
もしかしたら本当におばあちゃんなんだね。いい味出てるね、かわいいね。
そして、抱っこで眠る。
いくらなつっこい猫とはいえ、飼い主以外に抱かれて眠るなんて特別なことだと僕は思うんですよね。
飼い主が避難して3年近くの間に、猫たちも生きるために心を守るために変わってきた…変わらざるを得なかったのだと思います。
飼い主が頻繁に帰宅しているとしても、ずっと一緒に暮らしているのと、頻繁に会えるの間には大きな違いがあります。
このかわいい寝姿の裏にあるさまざまに思いを馳せる。
僕もメェメェを抱っこ…なんか嫌そうだなw
みんな一緒にパチリ!
メェメェ…もうちょっといい顔しなよ。
こんな顔でもひざの上でゴロゴロ言ってましたので、嫌ではなかったみたいですけどね。
寝てる…
おいっ!時間も押していますので、そろそろということにしますよ…
マァマァを下ろしましょうかね。
下りない。
あっ、下りた。
と思ったら、戻ってきた。
「じゃあ、明日迎えにくるからひとりで先に行きますね。ごゆっくりどうぞ」
はまってるね。
困ったけどうれしい人。
踏ん張るマァマァw
もう本当にかわいくてかわいくて、そしてずっと一緒に居られなくてごめんね。
不満顔。
ごめんね。
また来るから、今日のところはこれくらいで許してね。
こんなにかわいい猫、避難前は飼い主と幸せな時間を過ごしていたことが伝わってきます。
メェメェもマァマァも10歳は越えているそうです。彼女たちの寿命が来る前に、再び毎日抱っこで眠れる日が来ますように。
ここで午前の部は終了、役場でしばし休憩ののち午後の部へ。
●親子猫2
先週、茶トラのオス猫と白猫をはじめて見たお宅。
この日は、親子猫に会えましたよ!はじめて会えましたよ!うれしいよ!
右が母猫だと思います。
いかにも野良猫という厳しい顔つきをしていました。
毎日の食事が約束されていない場所での、出産と子育て…本来のかわいい表情が陰を潜めるのも当たり前かもしれません。
それに加えて、野生動物の脅威や冬の厳しい寒さ、この親子にめぐり会えたのは奇跡と言っても過言ではないと思います。
もちろん、村民やボランティアの地道な給餌があったことも忘れてはいけませんが。
しかし、人の住めない村の片隅でひっそりと生きている猫たちの存在を知り、生かそうとする人がいること自体が奇跡的なこと。
動物を殺すのも人なら、生かすのも人。
全然なれていない子たちですが、会えてとてもうれしい。
ここまで生き抜いてくれてありがとう。
まだまだ子猫の面影を強く残すキジシロさん。鼻の模様ががかわいいねぇ。
その模様があると高確率で「ひげ」ちゃんと呼ばれちゃうんだけどねw
猫の姿が見られたので、すぐに食べに来るだろうとほかほかメシを用意しましたよ。
焼かつおとかつお節をトッピングしたよ。
遠くで遊んでいた子ども白猫さん。
近くの納屋の中に移動してきましたよ。
子ども白猫が偵察、チラッ。
キジシロさんの方が少し度胸がよい、ニョキーン。
母猫…やはり強い。
写真を撮るために、目立つところにご飯をおいてしまってごめんね。
この後、ちゃんと奥まった落ち着いて食べられるとことに移動しましたよ。
ここの親子と仲良くなるのはなかなか難しそうですが、いつか仲良くしてくださいね。
またね。元気で生き延びるんだよ。
●親子猫1
ここも日比さんが給餌に寄ってくれたのか、縁の下にキジシロさんが一瞬だけ姿を見せてくれたのみで子猫たちには会えませんでした。
お腹がいっぱいで出てこないのならオケーですよ。
だいたいいつも2階から偵察してるのですが、この日はシーーーンw
メシィィィィの熱視線が注がれる納屋の2回もシーーーーーンw
近くの杉林…花粉症の人はこれを見ただけでムズムズすると聞きました。
僕はいまのところ大丈夫です。
●タロウと猫たくさんのお宅
敷地内の通路はすっかり普通に歩けるまでに雪が解けていました。
あまりに普通に歩けたので、うっかり写真を撮り忘れてしまいました。
なつっこい組のアメショミックスちゃんと茶トラくんんがお出迎え。
これまであまりわかりやすくお出迎えをされてことはなかったと思います。週1程度とはいえ、このところ毎回訪れていたためか少しは顔を覚えてくれたのかな。
なつっこい子たちとの距離も徐々に縮まっているように感じます。
タロウ。なんとなく笑顔っぽい。
鳴き方は相変わらず少し怖いけどね。
オレ、タロウ担当です。
油断は禁物ですが、もう噛まれるという空気はほとんど感じなくなりました。
けど、ささみ巻きガムをガムごとバリッバリッいく豪快な食べっぷりを見ていると、本気出されたら指の骨くだけるだろ…というビビリはあります。
噛むときはできればせめて左手にしてくださいね。
右手だとカメラの操作ができなくなって仕事ができなくなってしまいます。
仕事しないときみに会いにもこれない、きみだってオレたち分だけご飯が食べられなくて損するよ。
わかったのかワン?
バリッバリッ…
蒸し野菜ミックスご飯。
野菜だけだと反応が悪い肉派のタロウですが、
あっというまに完食!
もっと味わって食べればいいのに。まぁいいけど。
グレー白のほぼハチワレさん。
ナイスデザインなのに、なつっこくないのが残念。
とはいえ、これまでで最高に距離が近いかも。
なつっこくない組のミルクティー色とキジトラ。
あ、またキジトラだ。
あ、こっちにもキジトラ。
アメショミックスさんと顔が似ているので、きっと血縁関係だね。
うっ、奥にもキジトラ。もう同じ猫なのか違う猫なのかもわからないよ、おじさん。
三毛猫さんは意外と近くまで寄ってくる子。
ミルクティーくん、なんやらウネウネ。いつもより少し心をひらいているように見えます。
あれっ、こっちにもミルクティー色…
猫班Izumiに群がるなつっこい組。
なつっこくない組は、ひとまずカリカリ(補充済み)
しばらく放っておかれたタロウ、舌出しかわいこアピール。しかし、しょせんおっさん…それほどかわいくは見えないゼw
左の方はなつっこい組、右の方はなつっこい組予備軍。
茶トラくんのいい顔とって、ここは終わり。
また来るね、ばいばい。
途中で見守り隊(村の自警団)の方とお会いしました。
「犬猫に餌をあげに来ています」
「ごくろうさん」
「ずいぶん雪が解けましたね」
という挨拶のあと、見守り隊のお父さんから心の内を聞かせていただくことになりました。
初対面の僕に村の問題点を話さずにいられないお父さん、村の先行きに大きな大きな不安を感じているのだと伝わってきました。
「いま除染をしているけど意味ねぇ。除染してもすぐに(放射線量)は戻ってしまう。
大学の先生だって、すぐにはもうこれ以上(放射線量)は下がらなと言っている。
(セシウム)137の半減期を考えてごらん。30年だよ。
除染だって、はじめは住宅とその周り20mって言ってたのが、10mに変わった。
平地にして20mだったのが、斜面に沿って10mって言うんだ。
木だって杉と松しか切らないっていうんだ、葉っぱの落ちる木は対象外だって。
そんないい加減なのゼネコンを儲けさせるためだけにやってるようなもんだ。
そんなのやるくらいなら、村民みんなに移住できるだけの金を配ったほうがまだいいだろ。
そのほうがよっぽど安くすむ。
俺たちも農業やってたけど、村の多くは農家だから土地が汚染されてっから作っても売れない。
農業に使う水にも放射能が流れ込んでる。
戻ってきたって生活がしていけないんだ。
このあたりは3年で帰村と言われているけど、もう結構な数の家が新しい場所に移住してる。みんな戻ってこれると思っていないんだ。
汚染の一番酷い地区で6年で帰村、そこは6年分の補償が出ている。
俺たちのところは3年分、それでは新しい家が買えなくて自費でまかなっている人だって多い。
どこか別の場所に新飯舘村をつくって、みんなでそこに移ったらよかったのにな。
村長が帰村という方針一本だから、動くに動けないし、移住のための補償という話にもならない。
ここの土地はもうダメだと思うから、放射性廃棄物の最終処分場にするしかないんじゃないか。
ここは地盤が固いから、外へ流れでないように遮れば安全だと思う」
お話の内容の裏とりもしていませんし、細部に間違いはあるかもしれませんが大筋このように語ってくれました。
怒りと哀しみに満ちた目で。
自分が生まれ育った故郷を「放射性廃棄物の最終処分場に」、とまで言わせてしまうのは、ここまでの3年近くの間に国や東電、村への不信感が募っているからなのではないでしょうか。
自分たちの声が届かないまま、誰かの思惑や何かの利権の思うままに進んでいく飯舘村。
故郷での暮らしを諦めなければならないほどの失望や怒り、そして追い詰められていく哀しさ。
この土地には戻れないだろうと考えながらも、生活のため、そして村への愛着から被曝をすることを承知で見守り隊として働いていること。
愛する故郷を離れるという苦渋の決断をしたとしても、そこに立ちはだかるのは不誠実な賠償。
何重にも心を踏みにじられ哀しい思いをしている人たちがいることを忘れないでください。
そして、「東京でもっと村のことが報道されたら」とメディアへの不満も口にしていました。
それは僕も同じように思います。
と同時にメディアがどうのではなく、ひとりひとりが被災地で今も起こり続けていることに目を向けて広めることが大切だと感じます。
[つづく]
最後までご覧いただきありがとうございました。
またのお付き合いを、よろしくお願いいたします。
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