ミミとダディ(2021/4/22)伝染

猫の「ミミ」には、種族の違いは壁にならないようです。
ミミは、犬の「ミッキー」の小屋に棲みつき、ミッキーを親のように慕っていました。
犬の「ダディ」が激しく駆け回っていても、平気で近づきます。
ミッキーの小屋に流れ着いてしばらくは、人への警戒心をうっすら浮かべていましたが、それも雲散霧消。
先住猫に冷たくされても、気にすることなく平和主義を貫いています。

ダディとは、私が飯舘村に通いはじめた頃からの顔見知り。
彼との付き合いは9年を超えました。
犬の寿命を考えれば仕方のないことですが、この家に4頭いた犬はダディを残すだけとなりました。
ダディの家族は既に帰村していますが、種族は違えど心通じる彼との交流を続けています。
ダディは人が訪ねてくるのを楽しみにしています。それは彼の振る舞いから伝わってきます。
震災後の彼の日常です。

この日、はじめて歩いた林道の先は、数年前まで放射性廃棄物が積み上げられ柵に囲われていた場所。
黒い袋が積みあがった醜悪な風景は自然の色に上書きされていました。
飯舘村から、除染で出た放射性廃棄物がすべて運び出されるには、まだ数年かかると言われています。
村の75%ほどを占める森林が除染されていないこと。
降り注いだ放射性物質の半分は半減期30年のセシウム137とであること。
農業や畜産の復活の前に立ちはだかる福島産のマイナスイメージ。
生活必需品を手に入れるために隣町まで行かなければならない不便さ。
飯舘村が元の姿に近づくには、まだまだたくさんのハードルがあります。
原発事故から10年、避難指示解除から4年経っての、飯舘村の人口回復率は約23%です。

ダディの散歩から戻ると、田んぼで作業していたお父さんが戻っていました。
ダディの近くに腰かけて世間話。
お父さんは、昔東京で植木屋をやっていたそうです。
私もなじみ深い場所で過ごしてい時期があるのがわかりました。
「府中刑務所で植木の手入れをしていた」
「えー、小学生の頃、その辺りを良く自転車で走ってました。今も車でちょこちょこ通ります」
「八王子で自動車の免許を取った」
「えー、僕も八王子で免許取りました」
30分くらいは話し込んでいたと思います。
話し中、ふとダディに目を向けると、彼は伏せをして穏やかな表情。
ミミは、近くでうつらうつら。
人がのんびり過ごしているのが、ダディとミミにも伝染したようでした。

散歩をしたり、ご飯やおやつをあげたり、何かをすることばかり考えていました。
何もせずただ犬猫の近くにいる時間にも意味があると感じました。
考えてみれば、家の猫たちと私の普段の暮らしには、何かをするとただそこにいるが当たり前にあります。

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