サビミケちゃん(2021/3/24)記憶
猫は色々覚えています。
先週、納屋の外でご飯を食べたサビミケちゃんが、この日も外に出てきました。
私の声や車の音を覚えているようです。
玄関まで迎えに来る家の猫が、私の頭に浮かびました。
私はサビミケちゃんに気安く触れません。
それでも、彼女なりの私への親近感と受け取っています。
いつもより少し上等なご飯を食べたサビミケちゃんは、満足げに見えました。
でも彼女は油断しません。
そそくさと安全地帯へ飛び乗りました。
それでも、彼女は以前より気を緩めたように見えます。
コロナ禍で10回目の3.11を迎えました。
私は改めて当たり前のありがたさを感じています。
この日もサビミケちゃんが元気な姿を見せてくれたのが、なによりうれしいこと。
そして、お腹いっぱい食べた彼女の満足げな表情は、今週も飯舘村に来てよかったと私に思わせてくれます。
本当は何もかも解決して、現地に行かなくてもよくなるのがいいのですが・・・・・・
ほぼ毎週の飯舘村訪問を続けて2年余りが経ちました。
犬猫とも親密になりましたが、人との関係も深まっています。
この10年の経験や今の気持ちを、何人かが話してくれました。
「飯舘村に放射能が降って数日後に自主避難したけど、借りられる部屋がなかなか見つからなかった」
「4回引っ越して、今の家にやっと落ち着いた」
「雪と一緒に放射能が降ったけど、雪かきをしたら皮膚が炎症を起こした」
「放射能が降った当時、口の中で鉄のような味がした」
「ご近所付き合いがなくなってしまった」
「移住先にいてもやることがないから、飯舘に来てる」
「飯舘の家の庭からの眺めが気に入っている」
「家族や親戚でも飯舘で作った野菜を食べたがらない」
「笑って話してるけど、色々思い出すと笑うしかないから」
3.11から10年、被害を受けた人たちの痛みは続いています。
人口の回復率は20%ほどで頭を打ち、高齢化率の高さが目立ちます。
農業や畜産を再開しても食べていけるだけの収入を得るのも簡単ではないそうです。
村内で十分な収入を得られる就職先も限られています。
人口が少ないため商業施設が極端に少なく、生活必需品を得るには往復1時間程は車を走らせなければなりません。
「人のつながりがなくなった」の声は複数聞いています。
東京オリンピックの聖火リレーが行われた年、飯舘村は正常な姿を取り戻せていなかったと記憶しておきたいです。
復興にもオリンピックにも税金が使われています。