【1】はじめに Call my name 原発被災地の犬猫たち 2021 オンライン写真展

ピッコロ

東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故から、今年で10年になります。
私は原発事故の翌年に福島県飯舘村で暮らす犬猫の撮影をはじめ、これまで200回ほど現地に足を運びました。

飯舘村には大量の放射性物質が降り注ぎました。
当時6500人余りいた住民は避難しなければなりませんでした。
住人の避難後、飯舘村にはおよそ200頭の犬と400~500匹の猫が残されたと言われています。
多くの飼い主が村に犬猫を残したのは、仮設住宅等へ犬猫の同行避難ができなかったこと、村が立入禁止にならず住民が一時帰宅できたのが主な原因と考えられます。
犬猫たちは、飼い主とボランティアが運ぶフードを頼りに生きることになりました。
立入禁止となり多くの犬猫の餓死が伝えられた、原発周辺の警戒区域とは別の事態が飯舘村にはありました。

飯舘村の避難指示は2017年に一部地域を除き解除されています。
しかし、2021年2月現在の居住者は1500人ほど。
住居や農地等は除染(放射性物質を取り除く工事)が行われ放射線量は下がりました。とはいえ、酷く汚染された地域では高線量が記録され続けています。
村のおよそ75%を占める森林は除染されていません。
今も50箇所ほどある仮置場には放射性廃棄物が山積みになっています。
農業や畜産を再開する人は徐々に増えているものの、帰還を断念した人も少なからずいます。
復興への歩みはまだまだ道半ば。
放射性物質の半減期30年を考えれば、ゴールは霞んでいるように私には感じられます。

被災犬猫は当初の1割以下に減りました。
飼い主の移住先への移動や飼い主の帰還、保護されたケースもあれば、亡くなったものも少なくありません。
最高で300軒ほどあった訪問対象の家や餌場は、20軒程度に減っています。
とはいえ、中には3000を超える夜を家族と離れて過ごしている犬猫もいます。

「マメおいで」「ピーちゃんご飯だよ」
かつて犬猫たちは、家族から当たり前に名前を呼ばれていました。
おやつやご飯も大好物ですが、犬猫たちが一番好きなのは愛情と感じます。
何年経っても、彼らはくったくのない表情と仕草で、私の頬をゆるめ気持ちを温かくしてくれます。
彼らが喜ぶのは同情ではなく愛情です。
私には、彼らはかわいそうな犬猫ではなく、輝く命に見えます。

あと何年か後には、顔見知りの犬猫たちはいなくなっているかもしれません。
この作品群は、彼らの生きた証を残したいとの想いで撮影しています。
犬猫たちの輝きが、誰かの心に温かいひとしずくを落とし、優しさの波紋が広がればうれしく思います。

2021年3月1日 上村雄高

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