飯舘村」カテゴリーアーカイブ

親子犬チャコ、マリ、シロ

「マリ」
2018.2.22 福島県飯舘村

母と兄弟と3頭で暮らすマリ。
飼い主とボランティアの週数回ずつの訪問を心待ちにしています。
人の姿を見て立ち上がり、激しく吠え、リードをグイグイ。
しかし、この日長目の散歩を終えご飯を食べると、穏やかな眼差しに。
私の腕に頭を預けてきました。
前日のボランティアに続いての私の訪問。自由に歩き回り、温かいご飯を食べる、たったそれだけの積み重ねが彼の心をいっときではあっても鎮めたのだろうと思います。
犬たちには人が必要です。

『Call my name 原発被災地の犬猫たち』

 

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やまとクルッポ

『Call my name 原発被災地の犬猫たち』のInstagram投稿への、たくさんの「いいね」ありがとうございます。

今年は、2月の鹿児島「ねこどん」写真展への参加を皮切りに、4月5月には東京で展示を予定しております。以降も、発表の場を作っていけたらと考えております。
もうすぐ東日本大震災、原発事故から7年になります。
私には、復興の文字は霞んだままに見えます。
犬猫で言えば、新しい家族を求めているものがあふれています。現地に残されたものも少なくありません。

写真展のたびに、被災地の犬猫についてはじめて知ったという方に声をかけていただきます。
私は、被災地の犬猫をきっかけに、私たちの社会における動物の問題に視野が広がりました。
出会ったたくさんの方に、たくさんのことを教えていただきました。
だからこそ、自分も見たこと知ったことを伝えたいと今改めて考えています。

 

「やま」2012.3.24 福島県飯舘村

人の姿にフードにリードに、犬たちははしゃぎます。
彼らの仕草や行動は愛嬌に満ちています。
みんな愛されるに相応しい輝きを持った存在。

 

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18/1/1 飯舘村犬猫レポート 後編

さあ、午後は犬の部ですwan.

 

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「ミッキー」との付き合いはもう5年、もはや友達(と僕は思ってる)。数年前マイナス10℃を共に散歩したのが思い出。

 

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ポッケにおやつがあるのを知っているのだよね。

 

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40分ほど散歩しました。
寒風も雪道もへっちゃらさんなんだね、いいですね。

できることがあまりにも限られていて、心苦しいです。

 

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「ダディ」との付き合いも5年。もはや友達(と僕は思ってる)。
以前、僕のダウンをおもちゃにして破いたのは、もう忘れている目だな。

 

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「帰ってなにか食べようかな」
15分くらいでダディは回れ右。きっと僕の太もも筋を気遣ってくれたのですね。

 

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いい子です。また会いに行きます。

はじめて来た日、ここにはミッキーとダディのほかにも2頭いました。
原発事故からもうすぐ7年。避難指示が解除されたとは言え帰還率は1割未満。
以前の暮らしを取り戻すことなく寿命や病気で亡くなった犬猫は少なくありません。
6年7年は、犬猫にとって決して短くない時間です。

原子力災害…核の被害は根深いです。

原子力発電の是非を考えるとき、僕はまず多くの被害者の暮らしが破壊されたままであることを想います。欧米ではすでに原発の経済合理性が否定され、企業が手を引きはじめています。
戦争の足音が聞こえはじめました。もし原発を攻撃されたら?

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18/1/1 飯舘村犬猫レポート 前編

ジャンクションを通り抜け、北へ進路をとってまもなく平成30年がやってきた。
『人生という名の列車』がベースボールパークに差し掛かかり、僕はノスタルジーに浸っていた。
「バレーボール部のともこちゃん覚えていてくれてますか、あの頃僕ら風に立ち向かう勇敢な冒険者だった昭和55年」に、バスケットボール部のかおりちゃんが浮かぶ。

少し前に流れた歌では、ライオンがやはり風に立ち向かっていた。
そして「僕たちの国は残念だけど何か大切なところで道を間違えたようですね」の詩が刺さる。

人生とは風に立ち向かうことなのか?
近年風が強く感じる、おかげで前髪は減るし踏み出す一歩も重い。

回れ右をすれば向かい風は追い風に変わる。景色も変わる。
壁を立てれば風を感じないこともできる。
でも、そんなことできないし、したくない。

だって、風が強すぎて回れ右も壁を立てることもできない人がいるのを知っているし、
風を避ける自由を持たない動物たちがいるもの知っているから。

 

 

2018年、飯舘村は避難指示解除となって最初のお正月を迎えました。
2011年4月22日から2017年3月末までのおよそ6年、飯舘村には避難指示が出ていました。
しかし、多くの犬猫たちが村で生き続けました。
村への立ち入りはできましたので、飼い主やボランティアが村に通い犬猫の命をつないできました。保護され村を出た犬猫も少なくありません。亡くなったものも同様です。
現時点の帰還率は1割未満。元の暮らしを取り戻した人も犬猫もごく少数派です。

 

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農地に山と積まれた黒い袋(放射性廃棄物の入ったフレコンバッグ)が、飯舘村復興の足かせのひとつになっています。
仮置場、仮仮置場と呼ばれる96箇所に、1m四方の黒い袋がおよそ230万個。これらは焼却により量を減らし、原発周辺の中間貯蔵施設に運ばれる予定です。
しかし、中間貯蔵施設の用地買収は60%ほどの進捗。飯舘村から放射性廃棄物の山が消えるまでにはまだ長い時間がかかります。

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