飯舘村」カテゴリーアーカイブ

18/1/1 飯舘村犬猫レポート 後編

さあ、午後は犬の部ですwan.

 

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「ミッキー」との付き合いはもう5年、もはや友達(と僕は思ってる)。数年前マイナス10℃を共に散歩したのが思い出。

 

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ポッケにおやつがあるのを知っているのだよね。

 

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40分ほど散歩しました。
寒風も雪道もへっちゃらさんなんだね、いいですね。

できることがあまりにも限られていて、心苦しいです。

 

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「ダディ」との付き合いも5年。もはや友達(と僕は思ってる)。
以前、僕のダウンをおもちゃにして破いたのは、もう忘れている目だな。

 

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「帰ってなにか食べようかな」
15分くらいでダディは回れ右。きっと僕の太もも筋を気遣ってくれたのですね。

 

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いい子です。また会いに行きます。

はじめて来た日、ここにはミッキーとダディのほかにも2頭いました。
原発事故からもうすぐ7年。避難指示が解除されたとは言え帰還率は1割未満。
以前の暮らしを取り戻すことなく寿命や病気で亡くなった犬猫は少なくありません。
6年7年は、犬猫にとって決して短くない時間です。

原子力災害…核の被害は根深いです。

原子力発電の是非を考えるとき、僕はまず多くの被害者の暮らしが破壊されたままであることを想います。欧米ではすでに原発の経済合理性が否定され、企業が手を引きはじめています。
戦争の足音が聞こえはじめました。もし原発を攻撃されたら?

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18/1/1 飯舘村犬猫レポート 前編

ジャンクションを通り抜け、北へ進路をとってまもなく平成30年がやってきた。
『人生という名の列車』がベースボールパークに差し掛かかり、僕はノスタルジーに浸っていた。
「バレーボール部のともこちゃん覚えていてくれてますか、あの頃僕ら風に立ち向かう勇敢な冒険者だった昭和55年」に、バスケットボール部のかおりちゃんが浮かぶ。

少し前に流れた歌では、ライオンがやはり風に立ち向かっていた。
そして「僕たちの国は残念だけど何か大切なところで道を間違えたようですね」の詩が刺さる。

人生とは風に立ち向かうことなのか?
近年風が強く感じる、おかげで前髪は減るし踏み出す一歩も重い。

回れ右をすれば向かい風は追い風に変わる。景色も変わる。
壁を立てれば風を感じないこともできる。
でも、そんなことできないし、したくない。

だって、風が強すぎて回れ右も壁を立てることもできない人がいるのを知っているし、
風を避ける自由を持たない動物たちがいるもの知っているから。

 

 

2018年、飯舘村は避難指示解除となって最初のお正月を迎えました。
2011年4月22日から2017年3月末までのおよそ6年、飯舘村には避難指示が出ていました。
しかし、多くの犬猫たちが村で生き続けました。
村への立ち入りはできましたので、飼い主やボランティアが村に通い犬猫の命をつないできました。保護され村を出た犬猫も少なくありません。亡くなったものも同様です。
現時点の帰還率は1割未満。元の暮らしを取り戻した人も犬猫もごく少数派です。

 

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農地に山と積まれた黒い袋(放射性廃棄物の入ったフレコンバッグ)が、飯舘村復興の足かせのひとつになっています。
仮置場、仮仮置場と呼ばれる96箇所に、1m四方の黒い袋がおよそ230万個。これらは焼却により量を減らし、原発周辺の中間貯蔵施設に運ばれる予定です。
しかし、中間貯蔵施設の用地買収は60%ほどの進捗。飯舘村から放射性廃棄物の山が消えるまでにはまだ長い時間がかかります。

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17/3/11 飯舘村犬猫レポート3 マメの家

 

「みー」ちゃんの家へ。
冬毛ボサボサ、お腹ペコペコで迎えてくれました。
納屋の改修がが進められていました。
家族は帰村するのかもしれません。
しばしなでたり抱っこしたり。

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「うた」ちゃんの家へ。
ご家族が一時帰宅しているのではと、ご挨拶がてら「うたもどき」くんに会いに来ましたが、ご家族もうたもどきくんも不在。

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「葉たばこ」と呼ばれる餌場へ。
何度か会ったことのあるサビ猫が、警戒心露わに歓迎してくれました。

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「カンナ」ちゃんの故郷「工務店」。
1月にキジトラ猫を目撃しました。

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朝、飯舘村の犬猫給餌に奔走し続ける「日比」さん連絡すると、カラス害の酷い餌場「ご老公」宅のボックス改良グッズを求めてホームセンターに出向いているとのことでした。

ここのボックスはカラスに荒らされ、猫があまり近づけないほど。

三毛猫が一匹姿を見せてくれました、ちゃんとではありませんけど。
三毛猫が3匹かな、茶トラ2匹、キジトラもいます。

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「石材店」
この餌場を頼りにしていた猫が、後日保護されました。
ここは補給停止になるようです。

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「シロ」宅。

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おしゃれミケ。

 

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無愛想茶白。途中皿を階下に落としのを拾ってあげました。

 

 

「小春の家」
母屋は解体されるそうで、納屋に作られた新しい餌場。
常連だったサビ猫と三毛猫は、保護されました。

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そして、見ておかなければならない場所「マメの家」へ。

マメは今、東京で新しい家族と暮らしています。
2014年冬に怪我をきっかけに保護されたマメ。その後、人のいない村にマメを戻すのは忍びないと、ご主人が手放す決心をされました。

そして、2017年3月に日比さんのブログに記された「病に倒れた老夫婦二人の世帯、帰村されることはなく、このまま廃屋となるのだろう」。

 

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飯舘村にいた当時のマメは、人を待ちわびていました。

 

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ご主人の傍らには、マメがいました。

 

 

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なにもなければ、老夫婦と猫のいつも通りの時間が流れていたはずです。

奪われたものは戻らない。ばか。

 

 

「ムク」の家では、黒猫に会いました。

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「ゲート前」はひっそり。
目と鼻の先は、帰還困難区域です。しかし避難指示解除対象です。

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テレビモニタの向こう側は、お決まりのお祭り。
飯舘村は夕暮れました、地図から消えた世界のように。

 

 

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最後に寄った「お富士さんの餌場」では、「といちゃん」と「とにちゃん」が待っていました。

僕はここにいるよ。

 

3.11後は現在進行形。
アンダーコントロールされているのは私たち。

 

終わり

 

17/3/11 飯舘村犬猫レポート2 きぼうの花

 

「タロウ」の家にやってきました。
3年ほど前はじめて会った頃は「噛む犬タロウ」でしたが、今や「キャンキャン」甘えてきます。
母屋の新築工事が続いていました。
もうすぐ家族との暮らしが再開するのかもしれません。

二桁いた猫は、家屋解体の前に次々と保護されました。
数匹が残っているものと思われ、猫の給餌台は残されています。

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親子猫東と呼ばれるお宅へ。
2015年に保護した「米太郎」「ゆき(いね)」の故郷です。
「ここに戻って、100まで生きるのが目標」
当時70代後半のご主人が笑顔で話してくれました。
除染が本格的に進みはじめ、帰村の二文字が現実味を帯び始めた頃でした。

この日、ご主人に再会。
猫を気にかけ、給餌台にフードの補充をしてくれています。
避難指示解除後には、息子さんとともに帰村するそうです。
「畑が元に戻るには30年50年かかるだろう。それまで俺は生きていないだろう」
「荒らしておくのも嫌だから畑はきれいにしてるけど、戻ってきても何も作れないだろう」
笑顔は消えていました。

できることなら故郷に帰りたい、しかしどう生計を立てていくのか。
帰村が現実となった今、元の暮らしを取り戻す難しさが住人の前に立ちはだかっています。

村民への補償は2018年3月で打ち切られる予定です。
避難指示解除への積極的姿勢、そして帰村を後押しする施策。
飯舘村行政には、帰村した村民の未来が描けているのでしょうか。

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冬に姿を消してしまった猫「ヒメ」ちゃん宅。
気配なし。

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「チーズ」の家へ。
前回、短い散歩になってしまったので、この日は長目にと思いながら参上しました。

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避難指示解除まで3週間、しかし村内には放射性廃棄物の入ったフレコンバックの山がいたるところに。この状況で人が住まうのは、世界の人々には奇異に写るだろうと感じます。

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今日はゆっくり散歩しよう。
言葉が通じたのか、いつもはあまり目を合わせてこないチーズが何度も目を見てきます。
暖かくて気持ちいいね。

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チーズの先導でたどり着いたのは高校のグランド。
かつて文明が存在していた惑星に迷い込んだかのようでした。

除染で、校舎は洗われ校庭の土は入れ替えられました。
しかし、0.4~0.5マイクロシーベルト毎時の放射線量です。
これは原発事故前の4~8倍ほどに当たり、法律で決められた年間被曝限度1ミリシーベルトを上回ります。
今、飯舘村に残る放射性物質の多くは半減期30年のセシウム137です。
この先、再除染や新たに未除染の裏山が除染されない限り、放射線量が大きく下がることはありません。

避難指示解除の先には、もちろん学校再開があります。
幼稚園と小中学校は平成30年にも再開される予定です。
しかし、多数の親御さんが、再開時期の延期を望んでいます。

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そして、「花卉農家」さんへ。
今回の飯館村訪問で、会いたかったのはこちらのご主人です。

2014年の3月11日に、一時帰宅されたご主人に偶然お会いしました。
「村に戻ってきた時に元通りの生活ができるように、他の村民が希望を持てるように、避難先で事業を再開した。しかし収支は厳しい」。
当時はまだ避難指示解除の目処が立っていませんでした。
先行き不透明な中、未来への一歩を踏み出されたもののご苦労が絶えない様子でした。

今年のお正月、花の栽培用の新しいハウスや作業場の整備が進んでいるのを目にしました。
避難指示解除を目前にして、ご主人はどうしているのかと気になっていました。

 

訪ねていくと、僕のことを覚えていてくれました。

「ほとんど避難前と同じ暮らしを取り戻している」
「100歳になるお母さんは、やっぱりここがいいと喜んでいる」
「畑だった土地をメガソーラーに貸したので、農作業の負担が減った」
「村からハウスを借りて、トルコキキョウの苗をもう育てている。7月頃には出荷できる」
「避難先ではじめたカスミソウは、東京の市場でよい評価をもらった。村でもご近所何軒かと一緒にカスミソウを育てる。こっちは5月頃には出荷する」
「好きな仕事をして暮らせるのがうれしい」
「花の栽培で自分がうまくいったら、みんなにこうやればいいんだって思って欲しい」

ご主人の明るい表情が印象的でした。

福島産のお米や野菜は、たとえ放射性物質未検出であっても、市場での競争力があるとは言えません。マイナスイメージの払拭は容易ではありません。
ならば、別の道で生活の再建を目指す。
ご主人の笑顔が、僕には飯舘村復活の希望に見えました。

20年の契約でメガソーラー施設に貸した土地からも、毎月収入が得られるそうです。
この仕組を考えた方は、素晴らしいと思います。
20年後には、村に降り注いだ放射能はだいぶ減っています。
住人の被曝と不安、農作物の安全と安心、世の中の目、何もかもが変るには時間が必要なのだと思います。放射能災害の被害の根深さを改めて感じます。

 

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話をしていると、「ヒゲ」ちゃんがやってきました。

「ヒゲは、家族だって自分のことを思ってくれているみたいだ。窓を開けておくと入ってきてコタツで寝ている」
へー、警戒心の強いヒゲちゃんがね!
兄弟の「アカ」も元気にしているそうです。

 

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カスミソウハウス。

 

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トルコキキョウハウス。

 

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トルコキキョウの赤ちゃん。
7月頃にはきぼうの花を咲かせます。
花の季節にご主人の写真を撮らせてもらいたいなと思っています。

 

2012年から飯館村を度々訪れていますが、これまでで最高の笑顔と出会え、うれしさがこみあげてきました。

 

『17/3/11 飯舘村犬猫レポート3 マメの家』へつづく